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消せないものたち

前の仕事で作った木製のパーツがどうにも処分できず、メルカリに出品してみることにした。どうせならお金になる方がいい。いいねが3つほどついた後に購入された。
なぜか思わず急激に寂しくなって、もう一つのパーツは出品停止にした。
いいねがつく度にモヤモヤとしていた気持ちの正体は売れてほしくないという気持ちだったのだろうか。
大きな作品にするために道具を調整して、薄く切った部材からパーツの元を切り出す。お休みの日も夜中も関係なく作り続けた。その頃は「作る」というよりも「作らなければならない」という使命感の方が大きかった。
期日までに完成させなければ死ぬと思っていた。本当に。

楽しさやワクワクを優先するよりも、いかに知名度を挙げられるかとか、利益を生むかの世界だった。会社に属して仕事としてものづくりを継続することの難しさを実感した。
初めて作った木製のアクセサリーは地元の百貨店で展示販売した。
期間中何点か売ることができた。一つは顔馴染みの人が購入してくれた。私が不在の時にもう一つ購入された。展示品の中では最も高価に設定されたもので私が唯一気に入っていたデザインのものだった。
売れたと担当者から連絡が来た時は、嬉しさよりも心配の気持ちが勝っていたのを覚えている。商品に不備はなかっただろうか、価格に納得して購入したのだろうか。購入してくださったのは県外から来た女性で、たまたま立ち寄った人だと聞いたのを記憶している。
その頃は自分の作るものに自信がなく、作ったものを壊したい衝動にばかり駆られて失敗続きだった。とても未熟。そんな未完成のものを購入してもらったのは正直申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
もしも購入してくださった人に会うことができるなら、もう一度一から作り直した納得のいく商品を渡したい。今でもよく考えることである。
メルカリで購入されたパーツはどのような形で活用されるのだろう。一瞬「これは私が一から作ったものです」などと手紙のようなものを同封しようかと迷ったが、通報されても困るのでやめた。ゴミとして燃やされず、新しい形として残り続けるだけで満足かもしれない。でもやっぱりどんな風に使われるのか知りたい。自分の作ったものにこれだけ執着するのは、あの頃一生懸命になった自分がどうしても忘れられないからだ。
古い本を調べたり、YouTubeの動画を参考にしたり、おじいさんに木工を習ったり不器用ながらに私は仕事をしていたのだと思う。
出品を停止した残りのパーツたちは、私の手で違うものに作り替えようと思う。今更売ったりはできないから部屋に飾ることになるけれど、大切にしたい。
